「風になりたい」60代は第2思春期

人生カウントアップ!さていくつまで数えられるか!?

原爆忌

物心ついた時から、テレビがあった世代である。日曜日の朝はオオカミ少年ケン、鉄腕アトム、ルーシーショー、兼高かおる世界の旅と続き、まさにこの時間は、子供天国だった。この時代、テレビは様々なものを映し出してくれた。
夏休みに入った興奮が冷めた頃、この日本では、唯一の被爆国として、原爆忌を迎える。この日は、朝からNHKにチャンネルが固定される。この件に関して、親に不平を言った記憶はない。この日はそういう日なのだと思っていた。子供の頃の原爆関連番組は、原爆投下当時、アメリカ軍が記録したフィルムをもとに、構成されていたように思う。今の世の中では、ぼかしが入れられるか、敢えて流すことが憚られるような悲惨な状況がそのまま放送されていた。親は、黙ってその放送を、「しっかり見ておきなさい」などと余計なことは一切言わず子どもたちに見せた。子供は、ただテレビのある部屋でゴロゴロしたり、宿題を片付けたり…だが、やはりテレビに映る映像の迫力に押され、次第に釘付けになっていったのを覚えている。こんな悲惨で酷たらしいことがあったんだ。親は自らの戦争体験は進んでは話さなかったが、原爆忌に流されるテレビ放送にかこつけて、こちらから、このあたりの当時の様子を聞くと、ポツポツと話をしてくれた。特に空襲のときの様子を聞いたときなど、テレビ映像と重なって悲惨な様子が思い描かれ、自然と体育座りをしていた膝を抱えながら、聞いた思い出がある。
なぜ、原爆が投下されたのか、そもそもなぜ戦争を始めたのか?まだ何も知らない子供に、毎年この時期にテレビを消すこともなく、何も言わずに放送を見せた親…
いい悪いの議論は別にして、戦争の結果としてのテレビに映し出される悲惨な状況は、「戦争なんて絶対やっちゃいけん」という思いを刷り込んでくれたと思う。
戦争は今を生きる人間が始める。始めるために人間は多大な労力と犠牲を互いに強いる。だが、その終わりについての想像力には蓋をする。蓋をしなければ、ちゃんと見えていたのかもしれない。戦争について考えさせられる時、いろいろ残念なことが多すぎる。
親の死をきっかけに、過去を振り返って見ようとしたことがあった。私の知らない、でも、戦争がなければ確実に生きて、この私にも人生の示唆を与えてくれたかもしれない人がいた。
亡くなったものは何も言わない。戦争は今を生きる者が始める。だから、今を生きるものとして、死んでいった者たちの思いを汲み取る努力は、怠っては行けないのだと…

原爆忌のテレビ放送を黙って子供に見せた私の親世代は、いい悪い関係なく戦争の勝利を信じて、その親世代に竹槍を持たされた世代だった。だからこそ、何も言わずに放送を見せた。その思いに、今はただ黙ってうなずいてみせようと思う…
仏壇に手を合わせた。