「風になりたい」60代は第2思春期

人生カウントアップ!さていくつまで数えられるか!?

「死ぬのも楽ではないな」

これは、父が逝く数日前に漏らした、兄の言葉である。本当にそうだなと、自分も思った。逝く時はできるだけ楽に逝かせてやりたい。それが、見送る身内の総意であった。医者から延命の処置を続けるか、それともこのまま静かに見守るかと、答えを求められる…そう聞かれ、答えは決まっていたはずなのに、心が揺れる。だが、姉はきっぱりと「何もせず静かに見送ります」と答えた。
振り返れば、十年近くの痴呆との戦いであった。初期の頃は父自身も襲いかかってくる痴呆と戦っていた。そのイライラを母に向けることもあった。しかし、やがて戦う自分さえも曖昧になっていき、状態は次第に落ち着いていった。母の入院を契機に、父は施設に入り、最後の時まで、施設の方には大変お世話になった。おかげで介護離職をすることもなく父を送ることができた。
この父の最後を看取って、逝くつもりであった母は、一足先に旅立ってしまったが、この父の最期は、おそらく母の思い描いた計画通りであったろうと思う。完璧な家計管理で、夫婦二人の老後資金を蓄え、父の「子供の世話にはならん」という言葉を支えきった…

父母が旅立ったあと、次は自分たちの番かと、我が身のことを慮った。
「死ぬのも楽ではないな」とは、そういうことである。自分がどこの誰かもわからなくなっても、なんとか最期を迎えられる準備など、とてもではないが、できていない。それまでにやっておかなければならないことがたくさんある。
父母の死は、これからやらなければならないことに、目を向ける契機になった。

「性根を入れて、最後の一仕事をやり抜きます」…今日も思わず仏壇に手を合わせた。