先日、You Tubeのシニア向け番組で、「年齢マイナス50歳として、第二の人生を考えろ」という示唆に富む言葉に出くわしました。ということは、私は第二の人生13歳の思春期にいるということになります。第一の人生では何してたっけ?そうそう中学校に入学し、さすがに勉強に一生懸命取り組むか!?という親の期待をきれいに裏切り、最低の通知表の結果にもめげず、早速、友達を誘ってプールへ…思いっきりはしゃいで帰ったときの母親の顔を今でもよく覚えています。怒るにも、もうその気力さえないわというような呆れ果てた顔でした。「そうか、この成績そんなに悪いんだ」母の顔を見て、初めて自覚するほど馬鹿な人生を歩み始めておりました。あの頃に引き戻された記憶は、表向き、妙にはしゃいだ少年の抱える先行き不安な心を埋めてくれていた「拓郎」の歌へとつながっていきました。懐かしいな…そこで早速「拓郎」の歌をダウンロード…今聞き直すと、懐かしいというより、失いかけている若さを蘇らせてくれる…そして何よりも、先行きの不透明感は、今のほうがもっと当てはまるかもしれない。忘れていた「拓郎」の歌をもう一度手元に置いて、第二の思春期の応援歌にしよう…ふと、そんな考えに行き着きました。
私は今日まで生きてみました。
ときには誰かの力を借りて
ときには誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からもこうして生きていくだろうと
私には私の行き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きていく
明日からの そんな私です