道長の抜擢で、やりたくもない宮中出仕をすることになった”紫式部”…
三年もすると、その仕事にも慣れてくる…そうなると、たいていの人は、やりたくもなかった仕事の中に、それなりの楽しさを見つけ、その場所に安住するものなんだろうが、”紫式部”は違った…なりたくもなかったものになれ染んでいく自分が嫌になる…
そんな”紫式部”に、解説の頭木弘樹さんは、「擬態」という言葉を当てる…
やりたくはないが、仕事なのでやらなければならない…そのためには、周囲になじみ、それらしい振る舞いを身につけなければならない…それを「擬態」と言った
人は、「職業」を通して、その身なりなり、振る舞いを身につけていくもんらしい…
それが、なりたい自分であったなら、鏡に映るその仕事になじんだ姿を見て、「なかなかええ感じやん…」などと、自己満足もできようものを、それがなりたくないものであった場合、”紫式部”のように、擬態の中に閉じ込められた内なる自分のどこか納得できない鬱々とした気分から、解放されることはない…これ、しんどいねぇ…
”紫式部”さん、多分、端から見ると、誰よりも素敵に「擬態」できてたんだろうけどね…
実は違った…
ありきたりなまとめだが、だからこそ、『源氏物語』の世界を描けたんだろうね…
「擬態」の中に閉じ込められた、「物語の世界」…そこだけが、本当の自分の居場所…
人生、鏡に映る姿を見て、無邪気に悦に入ってるほうが、明らかに楽に生きられそうだ…なんも残らんけどね