「風になりたい」60代は第2思春期

人生カウントアップ!さていくつまで数えられるか!?

額田王と石川郎女、キャラ似すぎてるんだけど…何者?

額田王石川郎女…このお二方、何者なのでしょうかね?
不思議な人達です…
福永晋三先生は、額田王
熟田津に船乗りせむと月待てば潮も適ひぬ今は漕ぎ出でな
を、神功皇后の歌として解釈をされていらっしゃいます。
大物主の時代から、物部の本拠地である古遠賀湾を手中にいれ、最後の一勝負に挑もうしている神功皇后の姿が浮かびます…
通説では、百済が滅ぼされたため、斉明天皇中大兄皇子と共に百済再興に向かうために出兵しようとするまさにその時、額田王斉明天皇の気持ちを詠んだ歌…ということになっている…
が、それはそうとしても、額田王は、神功皇后の歴史・物語を知っている…知っていて、使った…何かこの豊国の歴史を語る「歌物語」のようなものがあって、それを語り継ぐ職能があったのではないかとも思える…王朝の歴史を「歌物語」で記憶し、語る職能が…それこそ、スサノヲの「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」の時代から…

そういう意味で、額田王石川郎女は、なんだか似ている…
いつも歴史を動かす人物のそばにいて、歌を詠み、時代を記憶し、次に語り継ぐような…

大津皇子の、石川郎女に贈りし御歌一首
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに
石川郎女の和し奉りし歌一首
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 大海人皇子

このあたり、福永先生は、どんなイメージをお持ちなんでしょうか…
福永先生のご研究から、上の相聞歌の中で、本朝と東朝との間を揺れ動く、彼女たちの真の姿が、浮かび上がるのではないかと、密かに期待しております…

あっ、『源氏物語』は、倭国本朝、阿毎多利思比孤の後宮で作られた」…という見解は、衝撃でした…