「風になりたい」60代は第2思春期

人生カウントアップ!さていくつまで数えられるか!?

さわらびの萌え出づる春…どういうこと?

昨日からの保険請求の段取りを、やっとこさつけて、ようやくまったり…

YouTube「福永真三 鷹羽國研究所」を流し聴きながら、珈琲なんぞをいただいております…

今日のお話は、『万葉集』が語る「天智天皇の最期」…

日本書紀は、壬申の乱の前に病気で亡くなられたとするが、『扶桑略記』はそうは語らない…その真相を『万葉集』から追う…

 

本日も、なかなか、興味をそそる話題…

 

大海人皇子に追い詰められ、天智天皇は、新羅に逃れようとするが、大海人皇子は、遠賀湾出口を封鎖…もはやこれまでと、陸に上がり、天智天皇は自ら入水される…

万葉集』には、柿本人麻呂額田王の挽歌が並ぶ…

やはり、額田王の心は、天智天皇の下にあったのか…

またここから、様々な物語を編むことができそうだが、確かなのは、『日本書紀』は、天武天皇天智天皇を、入水に至るまで追い詰めたことを隠す…「壬申の乱」の前に、病死したとした…この天武天皇の御心はどんなものであったろう…

 

天武天皇天智天皇を討ったことにより、図らずもお二人を支える周囲の意思は固まったように見える…

激動の時代を乗り切るため、天武と天智の間を取り結ぼうとした額田王の夢は、泡と消え果てた…

〈今日の妄想〉

額田王:「あんたたち、二人でやっと1つの国を背負えるのよ…」

天武 :「そんなことは、言われんでも、よーわかっとるが…」

    「かの国の属国となってまで、生き延びようとは思わん…」

額田王:「そこを、耐えて民の安寧を図るのが、あなたたちの役目ではないの…」

 

そう言われてたのに、やっちまったぁ…

 

やがて、天武朝は絶え、天智の孫、志貴皇子の子の光仁天皇が即位し、天智朝の復活…

”石走る垂見の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも” 志貴皇子

この歌、福永先生の解釈のとおり、”天智朝復活、万歳!!!”って、喜びが爆発しているように聞こえます…