雨がしとしと降り続く朝…でも今日は、休刊日
朝からキーマカレー、仕込んでまったりタイム…
久々に古代史幻想の旅へ…
福永晋三先生の講演、「聖徳太子の正体―蘇我氏は『豊前京都』にいた」を聞きながら、前から気になってた「石川郎女」からの「額田王」へと妄想を膨らませる…
「石川郎女」…関裕二さんの、『万葉集』の「石川郎女」は、蘇我氏を指す隠語ではないかという考察が、ふと頭をよぎる…皇統を思いのままに操っていた蘇我氏…「石川郎女」という隠語で、蘇我氏が誰の後ろについたのかを「万葉集」は暗示しているという…
額田王は、大海人皇子(後の天武天皇)との間に十市皇女をもうけます…
やがて、十市皇女は、大友の皇子に嫁ぎます…
乱後、お二人は、天武天皇のもとに…十市皇女は大友の皇子とは帯同していなかったのです…
熟田津に船乗りせむと月待てば潮も適ひぬ今は漕ぎ出でな
遠賀湾にて、船出を号令する額田王…その船団は当然物部遠賀団
だが、白村江の戦いで、遠賀団は戦いに参加することはなかった…
君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く
となると、この歌を、天智天皇との仲睦まじさを表現する歌…としてとってよいものなのかどうか…
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
紫のにほへる妹を憎くあらば
人妻故に我れ恋ひめやも
大海人皇子は、この掛け合いの中で何を言っているのだろうか…
もし、額田王が、これまで動くことのなかった「物部遠賀団」の隠語であるならば、
もう一度、筑紫側に戻ってきて、唐からの独立を勝ち取ろう!という誘いではないのか…
このままお前たちは、唐の属国として生きていくのか…おれは、周りがどうあれ立ち上がるぞという思いを物部にぶつけたのではなかろうか…
福永先生によると、白村江の戦いで、大海人皇子は、唐の捕虜となり、倭国本朝の都、今の大宰府は唐に占領される…そして、帰国した大海人皇子は、倭国東朝の保護化に置かれる…この時の倭国東朝のトップが天智天皇であった…彼らは、唐・新羅と手を組み、唐の属国として生きながらえる道を選んだ…
もし、この場面で、あの「万葉集」の額田王に返した大海人皇子の歌が、宴会の場面で歌われたのだとすれば、それは、天智天皇についた「物部」に対して、決起を促すものではなかったのだろうか…
そんな妄想に駆られたのでした
さて、まだ雨は降ってますが、日が差してきたので、今日はこれからチョイドラして、WORKMAN+へ…
防寒防風防水パンツを仕入れてこよう…